2010年12月08日
昭島市文化財めぐり10
10月の文化財めぐり1~7
11月の文化財めぐり8
11月の文化財めぐり9
奥多摩街道から階段を上って行くと目に飛び込んでくるのが
こちら 福厳寺 の観音様です

なんとこちらのお寺はその昔、寺子屋だったそうでこのような碑がありました
文化13年に再建された本堂は昭和20年4月の空襲で全壊してしまった為
現本堂は昭和36年に再建されました

貴重な什物等も空襲で焼失してしまいましたが
開創(1624年)以来の過去帳、書画、などが現存し、とりわけ
幕末の住僧光国和尚の日記は歴史的資料として大変貴重な物です
次の訪問地 恵日庵 はなんと昭島市役所のルーツともいえる場所

先の福厳寺を始め、ここ恵日庵の本堂を寄進建立した中神村の豪商
中野家の日記によると村の惣寄合などにしばしば使われ
明治後期から大正時代には中神村外七ヶ村組合の役場として
利用されていました また、かつて多摩地区が神奈川県に属したことを
示す石塔が建っており「神奈川県下北多摩郡中神邑」と記されています
11月の文化財めぐり8
11月の文化財めぐり9
奥多摩街道から階段を上って行くと目に飛び込んでくるのが
こちら 福厳寺 の観音様です

なんとこちらのお寺はその昔、寺子屋だったそうでこのような碑がありました
文化13年に再建された本堂は昭和20年4月の空襲で全壊してしまった為
現本堂は昭和36年に再建されました

貴重な什物等も空襲で焼失してしまいましたが
開創(1624年)以来の過去帳、書画、などが現存し、とりわけ
幕末の住僧光国和尚の日記は歴史的資料として大変貴重な物です
次の訪問地 恵日庵 はなんと昭島市役所のルーツともいえる場所

先の福厳寺を始め、ここ恵日庵の本堂を寄進建立した中神村の豪商
中野家の日記によると村の惣寄合などにしばしば使われ
明治後期から大正時代には中神村外七ヶ村組合の役場として
利用されていました また、かつて多摩地区が神奈川県に属したことを
示す石塔が建っており「神奈川県下北多摩郡中神邑」と記されています
つづく
Posted by くじらロードスタッフ at 09:00│Comments(0)
│昭島情報
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